幸せの後の悲しみ。
2003年9月1日茨城往復の旅でクタクタになった我々は
夜9過ぎ?10時くらい?に家に帰宅して
バタバタと寝た。
私は9/1から我が家のADSL工事のため
インターネットに繋がらなくなってしまうために
その後必死にやらなければいけないことだけを
片付けた。
おじさん・おばさんはせっかく東京に来たのだからと次の日の予定をどうしようか決めていた。
9/1朝
おじさんたちが六本木ヒルズに行こうと思って
駅まで行ったが突然帰ってきたそうな。
田舎の祖父が亡くなったとのこと。
急いで荷物を片付けて島根県に帰っていきました。
何度か危ないという知らせを受けて母は何度も里帰りしていたのだが、
今回はどうやら本当に亡くなってしまったようだ。
去年会っておいて良かった。
そう思った。
生きていると言う事に対する理解も深まった気がする。
本当に一人ぼっちな人っていうのはいないし、
本当に自分の好き勝手に生きたいと思って生きていける人なんていないんだな。
って思うのでした。
みんなどこかで細くて丈夫な糸で繋がっているために
そればっかりを意識しちゃうと
「もう!私はこっちの方に行きたいのに!!!」ってイライラしてしまうけれど、
誰かの糸が緩んだ瞬間に出来るだけ自分のワガママに動けるというのが人生であり、(タイミングと言われるのがそう言う瞬間だと思う)
もっと動きたい人は全体を自分の動きで揺らしていかないとだめなんだな。
って。
大きくて優しいパワーが必要なんです。
強く勢いよく引いたら、強く立てなくなるくらいの力で引き戻されてしまう。
社会に入っていけばいくほど、歳を取れば取るほど繋がる糸が増えていくのが大人なのだ。
それを上手く操れるかどうかが問題なのだ。
死ぬ時にですらその糸は繋がれている。
死んでから何10年もたってから人はその糸から解放されるのかもしれない。
だから今は今なりに生きなければならないのだ。
夜9過ぎ?10時くらい?に家に帰宅して
バタバタと寝た。
私は9/1から我が家のADSL工事のため
インターネットに繋がらなくなってしまうために
その後必死にやらなければいけないことだけを
片付けた。
おじさん・おばさんはせっかく東京に来たのだからと次の日の予定をどうしようか決めていた。
9/1朝
おじさんたちが六本木ヒルズに行こうと思って
駅まで行ったが突然帰ってきたそうな。
田舎の祖父が亡くなったとのこと。
急いで荷物を片付けて島根県に帰っていきました。
何度か危ないという知らせを受けて母は何度も里帰りしていたのだが、
今回はどうやら本当に亡くなってしまったようだ。
去年会っておいて良かった。
そう思った。
生きていると言う事に対する理解も深まった気がする。
本当に一人ぼっちな人っていうのはいないし、
本当に自分の好き勝手に生きたいと思って生きていける人なんていないんだな。
って思うのでした。
みんなどこかで細くて丈夫な糸で繋がっているために
そればっかりを意識しちゃうと
「もう!私はこっちの方に行きたいのに!!!」ってイライラしてしまうけれど、
誰かの糸が緩んだ瞬間に出来るだけ自分のワガママに動けるというのが人生であり、(タイミングと言われるのがそう言う瞬間だと思う)
もっと動きたい人は全体を自分の動きで揺らしていかないとだめなんだな。
って。
大きくて優しいパワーが必要なんです。
強く勢いよく引いたら、強く立てなくなるくらいの力で引き戻されてしまう。
社会に入っていけばいくほど、歳を取れば取るほど繋がる糸が増えていくのが大人なのだ。
それを上手く操れるかどうかが問題なのだ。
死ぬ時にですらその糸は繋がれている。
死んでから何10年もたってから人はその糸から解放されるのかもしれない。
だから今は今なりに生きなければならないのだ。
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