インタビュー

2003年11月24日
ある人のドキュメンタリー制作に協力するためにインタビューを受けた。

25歳の今の自分の説明をするために、当たり前だが、突然25歳になったわけではないので、自分の子供の頃の話をすることになってしまう。

で、早速突っ込まれたのだが、
何故そんなに子供の頃の記憶があるのか?
ということ。
10歳の記憶とか経験とかは大したことないというのだが特に問題なく平和に幸せに暮らしていたらそうかもしれない。
そして、それは大人になってから10歳の記憶は大したことが無いのであって、
10歳の瞬間というは10歳を一生懸命生きているのであって、私は丁度その時に激しいカルチャーショックと鬱と反抗期と子供であることへのフラストレーション、自分の感情と周りの変化に対応を迫られていたから、これを覚えていないことの方が難しい。
忘れていたら超若年性アルツハイマーだ。

子供であることは酷だ。
早く大人になって自分の道は自分で決めたい。
ココにはいたくない。そんな風に思っていた。

で、「郷に行けば郷に従え」と言う言葉を覚えされられたのもその時だ。

大人の異文化体験と子供の異文化体験は周囲の理解力の差が主な違いだとおもう。
しかも、移民になれている国にいくのと、
移民になれていない国に行くのでも違う。

大人は(皆とはいえないが)青春時代か何かで
色々勉強したりして精神も発達し、予備知識がある。
まだインターネットも無く、国際交流とか叫ばれていない時代の日本の子供はどうだったかというと、
のほほんと幼稚園に通って、何の疑いもなく皆で一緒に小学校に行っていた。
私ものほほんとアメリカの幼稚園に通い、小学校に入り、(日本語学校という場所にも通わされていたが・・・)卒業したらどこで何をしようか夢を見始めた頃にガラッと住む場所を移された。
違う環境で育った子供は自分達の違いを汲み取ってそれに敏感に反応した。子供は理屈で考えることはなく本能に素直だ。
大人達の間では「英語が喋れてすごい」という反応だったが、子供達の間には英語訛りの日本語が可笑しく映っていたのでしょう。
初めての挨拶の時、自分の名前の言い方がなまっていて笑われたことに戸惑った。
そこから何か違うことが起きて笑われたり、指摘されたりすると私は「アメリカではこうだった」という発言をするようになって、
それが原さんはアメリカに住んでいたことを自慢しているという風に言われる。
が、そこしか知らないんだからしょうがないじゃない、という反論は受け入れられず。
どうやったら分かってくれるんだろう?と思っていたら、偉そうだが、ああー私が先にこの人たちを理解すればよいのだと思う。でないと私の社会生活は
ずっとギクシャクしたままになるという危機感があった。(大人だったらすぐどこかに逃げられるのにと思ったこともある。)
最終的にはあまり人に自分の経験を話すのをやめる。

ずっと日本生活の様子を友達に手紙を書いて送っていたのだが、
内容はどんどん日本がキライということに集中し始める。
逆に友達は卒業パーティーやら、ジュニアハイに行ってこんなコースを選択した、16歳のお祝いとか、プロム話とかするようになり、
私は「私も今ごろそこにいたらそんなことをしていたはずなのに・・・」とやたら悔しくなる。

そこで、私は日本で教育の中での選択の自由を求めた。

高校に行けばもっと自由になれるという親の情報に惑わされ、ある進学校に入る。進学には真剣だったので、すごい色んな高校をチェックした。
入学して半年、こんなところにいてはダメだと思う。
授業が嫌いで授業をサボるということはしていたのだが、そのサボって何か特別なことをしているわけではなかった。バンドに入りたくて楽器屋に行ったのだが、興味のあるものは全て年齢制限がつけられていて入れなかった、のと、初心者はダメとか、何しろバイトをしていないので、金も無いなどの制限を目の当たりにして、ああ〜まだ自分の人生は自分で決める大人にはさせてくれないんだなーって思う。
サボっている時間がもったいないと思う。
今自分を高めていかないと他にそんな時間は無いのでは?いう焦燥感にもかられていた。
居なくてもいいところに居るのではなく、自分の欲しいものを掴みにいこうと思った。

勉学の道でより自分の求めているものがあるところに行かなくてはならないと思い、
オーストラリアに留学する。
知らないところでホームステイして、好きなことを勉強するのは最高じゃないか!と思い、留学雑誌を探し回り、自分で計画を立てて、親を説得させる。

高校の授業内容はよっぽど充実していたので満足する。選択の自由を認めてくれ、その選択は自分の責任とうシステムは最高だと思う。
良い経験をした。
オーストラリアの田舎は有意義なじかんだった。
そして改めて外から日本ってどんなイメージなのか
そして、自分の日本人性を知る。

大学に行くと、英語力テストで帰国子女グループに入れられ、ココにきて初めて誰かとreeses pieces
を見つけたらバカみたいに喜ぶなどのような些細な幸せを手に入れることができた。fruitloopsの袋を開けるとおうちに帰ってきたような懐かしさがある。
音楽をやりはじめ、ベンチャー学生企業に入ってみたり、映画音楽を作ってみたり、etcetcしたりして、
足りないものを追い求め、溜めてきたものを吐き出す、そんなことをして今にいたるのだ。

欲求に素直に、居なくて良いと思うところからは去り、必要とされれば喜んで力になる。

簡単に言うとそんな感じだね。
日本語喋れるようになってよかった。

長くなってしまったが、インタビューはこれよりさらに色んな方向に飛んでいったが、そういう内容だった。

それで、絶対勘違いされたくないのは、私はどちらかの国が好きでどちらが嫌いというわけではなくて、
むしろそんなのはどうでも良くて、どこに行っても人は皆食ってクソして愛し合ってが基本なので、
土台は変らないのだ。土地の気候・文化・習慣・それに付随する思想が違う。ムカツクのは政治だ。

国籍とかカラーとか思想がぶつかり合った時にうざったいものしか産まないけれど、どこかで生まれ育ってそこで培った感性があるならば、それを恥に思わないで発信していったほうがいいと思うのだ。
意識しなくても皆どこかでそれを発信しちゃっていると思うけれどね。自分のことだから近すぎて見えないだけで。
それがアイデンティティー。
幼少の頃の記憶がなくても影響していないわけではないはず。その0歳から現在がその人であって、
それは川を流れる水のようにこことここって区切れないと思う。下流に行けばどんどん川の幅は広がっていって、最後は海になれる。

深く人を知れば知るほどそれは思う。
自分であることが大事なのだ。
自分の過去に誇りをもって、それが今の自分を作っていることを認めて、それで納得してなければ、足りないものを探せばいいじゃない?

世の中って方式があるようで、方式はないし。
光を描くのに陰は必要だし、
"有る"は"無い"によって成立するし。
似ているから違いが目立つし、
これはこうだと結論を出してしまった時、発展はしなくなるし。
いつも柔らかい頭が必要だ。


ああ今日はいっぱい書いた。
まだまだ修行中、やることがいっぱいのまさえでした。


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