時は今もスピードを増して過ぎていく。
2004年6月23日全然祝ったりしなかったけれども、今月の頭の方でちょうど
茶飲みは2周年を迎えたわけなんです。
そういえば、丁度2年だねーなんて独り言のように言ったような気もするけれど、
昔のテープはやはり恐ろしくて聞けないくらい今と比べてダメです。
色んなお店やライブハウスやイベントなどに顔をだして、
色んな人と出会い、
凄いダメな自分、凄く良い自分を皆さんと共有してきたのではないかと。
私個人的にはこの活動に於いてすごく人間として成長したと自分で思っています。
これは絶対に言える。
見えなかったものが見えて、聞こえなかったものが聞こえて、
世界は広がった。
世界は日本の中、隣の町、近所、自分の周りにあって、
自分で足を踏み入れないと分からない。
結局住む場所を変えたとしても、自分がどれだけ他の世界に踏み入る勇気があるか無いかが問題。更に踏み入れてそれを受け入れる力が自分にあるかが試されます。
そういう意味ではどこにいても同じなのだ。
ただ"海外に行く"などの行為だと明らかに違うのが視覚的に分かりやすくなるだけだ。
生きていて、
「私」というものの説明が求められる部分がある。
そこが風にさらされるのが音楽なんじゃないかと。
これからも正直に生きていこうと思います。
色々2年間迷惑掛けた人も失望させた人もいるとおもいますが、
それを喜びに変えられるようにしていきたいです。
これからも宜しくです。
茶飲みは2周年を迎えたわけなんです。
そういえば、丁度2年だねーなんて独り言のように言ったような気もするけれど、
昔のテープはやはり恐ろしくて聞けないくらい今と比べてダメです。
色んなお店やライブハウスやイベントなどに顔をだして、
色んな人と出会い、
凄いダメな自分、凄く良い自分を皆さんと共有してきたのではないかと。
私個人的にはこの活動に於いてすごく人間として成長したと自分で思っています。
これは絶対に言える。
見えなかったものが見えて、聞こえなかったものが聞こえて、
世界は広がった。
世界は日本の中、隣の町、近所、自分の周りにあって、
自分で足を踏み入れないと分からない。
結局住む場所を変えたとしても、自分がどれだけ他の世界に踏み入る勇気があるか無いかが問題。更に踏み入れてそれを受け入れる力が自分にあるかが試されます。
そういう意味ではどこにいても同じなのだ。
ただ"海外に行く"などの行為だと明らかに違うのが視覚的に分かりやすくなるだけだ。
生きていて、
「私」というものの説明が求められる部分がある。
そこが風にさらされるのが音楽なんじゃないかと。
これからも正直に生きていこうと思います。
色々2年間迷惑掛けた人も失望させた人もいるとおもいますが、
それを喜びに変えられるようにしていきたいです。
これからも宜しくです。
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