昨日ふっと持ち上がった会話から
2004年12月19日自立と自分だけで生きていけるっていうのは違うもので、
「自分だけで生きてやる!」っていうのは我侭で、
自分だけでなんて誰も最初から生きていなくて、
生命を得た時点で父と母との意識の無いかかわりがあり、
子宮から外の世界に出てくるにも人の手が必要で。
もうそこから社会とのかかわりがある。
今はパソコンや携帯やら通信販売やら、自動改札、自動販売機、
会話じゃない会話、所謂営業トークで人と深く接触しなくても
物を得ることが出来て、生活が出来てしまう。
機械を操作して自分の都合中心にできてしまう。
だから錯覚を起こしやすくなっている。
「面倒だから人と関わるのは嫌だ、自分一人で生きていける」と。
だから携帯電話に相手が出ないとイライラする。
電話なんて自分の都合と相手の都合とが一致した時に出られるものでしかないのだ。掛けて来た相手の都合に必死にあわせて電話に出て
自分の生活の場所に迷惑をかけるのはおかしな話だ。
電話に出られないときは出られないときなのだ。
「全部自分でコントロールできるし、コントロールしたい。」
そんな欲求が現代では高いような気がする。
それを自立というのか?それは違うと思う。
人と適度な距離感で関われる人っていうのは自立した人だ。
自分一人じゃできないこともあることを知っていて、
自分一人じゃなきゃできないこともあることも知っている。
それから自分がコントロールしきれない所を余裕をもって笑っていられる人。
そう、自分の時間さえコントロールできないことなんて良くあることだ。
それで、皆それを言うまでもなく知っていて、
きっと自分の存在を他人に知らしめたくて、
本当はもっと関わりたくてもがいているんだと思う。
「自分だけで生きてやる!」っていうのは我侭で、
自分だけでなんて誰も最初から生きていなくて、
生命を得た時点で父と母との意識の無いかかわりがあり、
子宮から外の世界に出てくるにも人の手が必要で。
もうそこから社会とのかかわりがある。
今はパソコンや携帯やら通信販売やら、自動改札、自動販売機、
会話じゃない会話、所謂営業トークで人と深く接触しなくても
物を得ることが出来て、生活が出来てしまう。
機械を操作して自分の都合中心にできてしまう。
だから錯覚を起こしやすくなっている。
「面倒だから人と関わるのは嫌だ、自分一人で生きていける」と。
だから携帯電話に相手が出ないとイライラする。
電話なんて自分の都合と相手の都合とが一致した時に出られるものでしかないのだ。掛けて来た相手の都合に必死にあわせて電話に出て
自分の生活の場所に迷惑をかけるのはおかしな話だ。
電話に出られないときは出られないときなのだ。
「全部自分でコントロールできるし、コントロールしたい。」
そんな欲求が現代では高いような気がする。
それを自立というのか?それは違うと思う。
人と適度な距離感で関われる人っていうのは自立した人だ。
自分一人じゃできないこともあることを知っていて、
自分一人じゃなきゃできないこともあることも知っている。
それから自分がコントロールしきれない所を余裕をもって笑っていられる人。
そう、自分の時間さえコントロールできないことなんて良くあることだ。
それで、皆それを言うまでもなく知っていて、
きっと自分の存在を他人に知らしめたくて、
本当はもっと関わりたくてもがいているんだと思う。
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