インタビュー

2003年11月24日
ある人のドキュメンタリー制作に協力するためにインタビューを受けた。

25歳の今の自分の説明をするために、当たり前だが、突然25歳になったわけではないので、自分の子供の頃の話をすることになってしまう。

で、早速突っ込まれたのだが、
何故そんなに子供の頃の記憶があるのか?
ということ。
10歳の記憶とか経験とかは大したことないというのだが特に問題なく平和に幸せに暮らしていたらそうかもしれない。
そして、それは大人になってから10歳の記憶は大したことが無いのであって、
10歳の瞬間というは10歳を一生懸命生きているのであって、私は丁度その時に激しいカルチャーショックと鬱と反抗期と子供であることへのフラストレーション、自分の感情と周りの変化に対応を迫られていたから、これを覚えていないことの方が難しい。
忘れていたら超若年性アルツハイマーだ。

子供であることは酷だ。
早く大人になって自分の道は自分で決めたい。
ココにはいたくない。そんな風に思っていた。

で、「郷に行けば郷に従え」と言う言葉を覚えされられたのもその時だ。

大人の異文化体験と子供の異文化体験は周囲の理解力の差が主な違いだとおもう。
しかも、移民になれている国にいくのと、
移民になれていない国に行くのでも違う。

大人は(皆とはいえないが)青春時代か何かで
色々勉強したりして精神も発達し、予備知識がある。
まだインターネットも無く、国際交流とか叫ばれていない時代の日本の子供はどうだったかというと、
のほほんと幼稚園に通って、何の疑いもなく皆で一緒に小学校に行っていた。
私ものほほんとアメリカの幼稚園に通い、小学校に入り、(日本語学校という場所にも通わされていたが・・・)卒業したらどこで何をしようか夢を見始めた頃にガラッと住む場所を移された。
違う環境で育った子供は自分達の違いを汲み取ってそれに敏感に反応した。子供は理屈で考えることはなく本能に素直だ。
大人達の間では「英語が喋れてすごい」という反応だったが、子供達の間には英語訛りの日本語が可笑しく映っていたのでしょう。
初めての挨拶の時、自分の名前の言い方がなまっていて笑われたことに戸惑った。
そこから何か違うことが起きて笑われたり、指摘されたりすると私は「アメリカではこうだった」という発言をするようになって、
それが原さんはアメリカに住んでいたことを自慢しているという風に言われる。
が、そこしか知らないんだからしょうがないじゃない、という反論は受け入れられず。
どうやったら分かってくれるんだろう?と思っていたら、偉そうだが、ああー私が先にこの人たちを理解すればよいのだと思う。でないと私の社会生活は
ずっとギクシャクしたままになるという危機感があった。(大人だったらすぐどこかに逃げられるのにと思ったこともある。)
最終的にはあまり人に自分の経験を話すのをやめる。

ずっと日本生活の様子を友達に手紙を書いて送っていたのだが、
内容はどんどん日本がキライということに集中し始める。
逆に友達は卒業パーティーやら、ジュニアハイに行ってこんなコースを選択した、16歳のお祝いとか、プロム話とかするようになり、
私は「私も今ごろそこにいたらそんなことをしていたはずなのに・・・」とやたら悔しくなる。

そこで、私は日本で教育の中での選択の自由を求めた。

高校に行けばもっと自由になれるという親の情報に惑わされ、ある進学校に入る。進学には真剣だったので、すごい色んな高校をチェックした。
入学して半年、こんなところにいてはダメだと思う。
授業が嫌いで授業をサボるということはしていたのだが、そのサボって何か特別なことをしているわけではなかった。バンドに入りたくて楽器屋に行ったのだが、興味のあるものは全て年齢制限がつけられていて入れなかった、のと、初心者はダメとか、何しろバイトをしていないので、金も無いなどの制限を目の当たりにして、ああ〜まだ自分の人生は自分で決める大人にはさせてくれないんだなーって思う。
サボっている時間がもったいないと思う。
今自分を高めていかないと他にそんな時間は無いのでは?いう焦燥感にもかられていた。
居なくてもいいところに居るのではなく、自分の欲しいものを掴みにいこうと思った。

勉学の道でより自分の求めているものがあるところに行かなくてはならないと思い、
オーストラリアに留学する。
知らないところでホームステイして、好きなことを勉強するのは最高じゃないか!と思い、留学雑誌を探し回り、自分で計画を立てて、親を説得させる。

高校の授業内容はよっぽど充実していたので満足する。選択の自由を認めてくれ、その選択は自分の責任とうシステムは最高だと思う。
良い経験をした。
オーストラリアの田舎は有意義なじかんだった。
そして改めて外から日本ってどんなイメージなのか
そして、自分の日本人性を知る。

大学に行くと、英語力テストで帰国子女グループに入れられ、ココにきて初めて誰かとreeses pieces
を見つけたらバカみたいに喜ぶなどのような些細な幸せを手に入れることができた。fruitloopsの袋を開けるとおうちに帰ってきたような懐かしさがある。
音楽をやりはじめ、ベンチャー学生企業に入ってみたり、映画音楽を作ってみたり、etcetcしたりして、
足りないものを追い求め、溜めてきたものを吐き出す、そんなことをして今にいたるのだ。

欲求に素直に、居なくて良いと思うところからは去り、必要とされれば喜んで力になる。

簡単に言うとそんな感じだね。
日本語喋れるようになってよかった。

長くなってしまったが、インタビューはこれよりさらに色んな方向に飛んでいったが、そういう内容だった。

それで、絶対勘違いされたくないのは、私はどちらかの国が好きでどちらが嫌いというわけではなくて、
むしろそんなのはどうでも良くて、どこに行っても人は皆食ってクソして愛し合ってが基本なので、
土台は変らないのだ。土地の気候・文化・習慣・それに付随する思想が違う。ムカツクのは政治だ。

国籍とかカラーとか思想がぶつかり合った時にうざったいものしか産まないけれど、どこかで生まれ育ってそこで培った感性があるならば、それを恥に思わないで発信していったほうがいいと思うのだ。
意識しなくても皆どこかでそれを発信しちゃっていると思うけれどね。自分のことだから近すぎて見えないだけで。
それがアイデンティティー。
幼少の頃の記憶がなくても影響していないわけではないはず。その0歳から現在がその人であって、
それは川を流れる水のようにこことここって区切れないと思う。下流に行けばどんどん川の幅は広がっていって、最後は海になれる。

深く人を知れば知るほどそれは思う。
自分であることが大事なのだ。
自分の過去に誇りをもって、それが今の自分を作っていることを認めて、それで納得してなければ、足りないものを探せばいいじゃない?

世の中って方式があるようで、方式はないし。
光を描くのに陰は必要だし、
"有る"は"無い"によって成立するし。
似ているから違いが目立つし、
これはこうだと結論を出してしまった時、発展はしなくなるし。
いつも柔らかい頭が必要だ。


ああ今日はいっぱい書いた。
まだまだ修行中、やることがいっぱいのまさえでした。


さーて

2003年11月23日
一つイベントを終えることが出来たので、
自分の録音に集中集中。

といっても、録音するところまではいけず。
MTR内の情報の整理やらにおわれた。

結婚式の引き出物のチョコレートの美味しさにとろけた。

最近チョコレートばっかり食べてる気がする。

パンパカパーン♪

2003年11月22日
良い天気に恵まれて、ほんとうに良かった。

私は結婚式では証人役としてみんなの前に立つことになっていた。

教会での式っていうのはいいもんだ〜。

女子の証人のすることとは、新婦のアシスタントである。

もちろん神父様が「証人の方ご起立ください」と言われた時には立つという役目もあるが。

ヴェールとドレスの裾を直したり、
指輪の交換の時には手袋とブーケを預かったりするのだ。

最後はこの式に立ち会いましたという文書に署名をして役目終了。

朝みんなが来る前にリハーサルをして、
段取りを確認。
親族の人たちも皆朝一に写真撮影のために集合していたのだが、
時々間が空くので、新婦の母が(カトリック教徒なので)十字を切って一人でお祈りをしている姿を目撃して、その自然な母親の美しい行動が印象的だった。

式は無事、私が花瓶にぶつかって倒すとか
ヴェールを踏んで転ぶなどのアクシデントが無く無事終了。

神父様のお言葉が心に響いた。
似ていると思った者同士だからこそ、安心して惹かれあうが、違いが現れるとそのことばかりが気になって、その違いを指摘することに力を使って、受け入れる心を閉ざしてしまう。そんなことをおっしゃった。
「似た者同士」だからこそなのだね。と当たり前だが、目からうろこ的だった。

式のあと余韻に浸ってブーケトスなどのイベントも目撃したかったが、
パーティー準備のために次の会場へタクシーで向かったのだった。

パーティー会場につくと、全てテーブルセットは完了していていち早くその現場に入り込むことができて嬉しかった。

問題のCDプレイヤーは編集して焼いたCDもオリジナルCDもどちらをかけてもやはりおかしいので、
ステレオアウトしようということになり、
楽器屋まで楽器屋に似合わない格好でダッシュ。
(楽器屋というのは基本的にカジュアルな現場&楽器なんて買うお金はないけれど、試奏しにくる人が多く、店員さんも頭ばボッサー&ジーンズ擦り切れてる系な人が多い)
で、そこでキャノンのオスコネクターとキャノンからピンへの変換ジャックを購入して本番を迎えた。

戻ると既にお客さんが会場入りしていたので、
問題の入場曲がどう聞こえるかを試すことは出来なかったが、
きっとこれで大丈夫だろうという思いで屏風で囲われたプライベートPAコーナーで新郎新婦のご到着をまっていた。

そして新郎新婦ご入場!
こんなにボタンを押すのに緊張したことは無い。

ポチッ、
ドキドキ

イントロ、(客がその選曲の意外性に沸いた)
ドキドキ

そして、歌。

あああああちゃんと聞こえる〜〜〜〜〜。
よかったーーーーーーーー。
楽器屋に行ってよかった〜〜〜。ありがとう!TA●A△A町田店!!
そして本当にこんな所で音楽に関わっていたことが役に立つとは思わなかった。

どんなに小さなことも、経験と知識は確実に肉となって骨となって血となるのだと思った。

そして随所にBGMフェードイン、フェードアウトポイントがあるので、その度に私は活躍した。

しかも、自分の演奏時間などもあって、
加藤司会者も大ウケで持ち前のアナウンサー系のよく通る声を活用できて良かったと思う。

パーティーは無事終了して、
新郎新婦はドレスとスーツの姿で美容院まで歩いていった。
黄色っぽい光沢のあるドレスだったので、
秋冬のウールっぽい素材と暗い色の洋服の人達が通るその道では余計に目立っていた。

良い仕事をした〜。

その後いつもの赤提灯で集まった人たちで2次会。
それもかなり最高だった。
世間が騒いでいる今年のボージョレーは一体どんな味なのかを知ることができたし。

イイフウフの日は最後の最後まで素敵な気分で完結。
某レストランの宴会場を貸し切ってのウェディングパーティー。それはもうすでに明日に迫っていた。

道具の搬入のためと、私が当日担当することになるCDプレイヤー及びPA関係をチェックするために行きました。

新婦Mは会場に飾られる花やらを搬入。
オリジナルウェディングってこんなこともするんだ、と思った。
でもきっとこのお花を搬入する作業とか式前夜の緊張とかを味わったら、ハネームーンは相当気持ちが良いものだろうと思う。
それは喉の渇きを我慢して我慢してから飲むビールのように。ぷはぁ〜〜〜。

さーてトラブル発生。
CDのLとRがバランスよく聞こえないのだ。
しかも入場曲はビートルズで致命的。
歌が聞こえないのだ〜〜〜!
ビートルズは歌がすごーーくLかRに振ってあるためすごくしょっぱい曲に聞こえてしまう。

分からない人は試しにステレオのL端子だけもしくはR端子だけを抜いてビートルズを再生してください。

焦った。
困った。
そして悩んだ。
あまりにも悩んだので、ナイススマイルのレストラン店長Iさんもギクシャクした笑顔になってしまっていたわ。

そんな問題を抱えながら打ち合わせ時間が終わってしまったので、帰宅。
さて明日は大丈夫かな????

しろあり騒動

2003年11月19日
我が家の一階のトイレの床下がシロアリに食われてました。

どうも床がへこむし、一度バキッと言わしてしまったので、調べてもらったらそういうことだった。

なにやらシロアリというのは米軍が日本に連れてきたそうだ。
キャンプのお家と言うのは材料も形式もスペースも全てメリケン製にこだわっている為、木材ももちろんメリケン製。

輸入木材の中に紛れていたシロアリが日本各地の米軍キャンプから広がって、日本の木材を食い荒らしているそうな。
しかも米大陸のシロアリの天敵というのは日本に住んでいるわけではないので、被害は相当なものと予想できる。

川崎市とか相当やばいという話。

キャンプとキャンプに挟まれた地域はみんな危険らしい。

うちの周りはみんな大丈夫かしら?

再び事故目撃。

2003年11月18日
原付VSワゴン車。

ワゴン車の後にいたので、当たる瞬間をはっきり目撃。

ピザ屋のバイクだったので、いろいろ心配しちゃいました。

ピザはどうなるのか?
とか。

彼はクビになるのか?
とか。

でもね〜〜〜、バイクかなり無謀だったよ。
ガソリンスタンドに入ろうと左にちょっとよって止まっている車の左側から歩道に乗って追い抜こうとするなんて。
しかも結構飛ばしていた。
多分ワゴン車がガススタに入ろうとして止まっていたのをみて、抜けるだろうと思ったのでしょう。
ワゴン車もきっとこんなに寄っているから、まさかバイクが左から入ってくるなんて思っていなかっただろうに。

なんで、バイクの人ってああいう無謀なことを時々するのかなーって思う。
それは夜の246とかで超スピードだして、車の間を縫って走るバイクとかみても思う。

ちなみに母はバイクにのったら死ぬと思っている。

結婚式の準備

2003年11月16日
もちろん自分のじゃないよ〜。

でも楽しいのです。
パーティーで流す予定の中華風インストはもう出来上がっていたのだが、
急遽より良い案が浮かび、夜中に録音を始める。

ああ〜何故良い案はいつも夜に降ってくるのでしょう?

さてさて、
朝は新婦Mの家にてプレゼンテーションをしたいがために、仮仕上げをして、
あっというまにam4時。
いつ寝たのか判らないが、
その何度も同じフレーズを聞いていたせいで、
寝る寸前までその中華フレーズとシンセサイザーの音を脳みそから削除できなかった。

そして気づくと寝坊です。
目覚ましを消したところまで記憶はあったのだが・・・。
起きてから15分で電車に乗った。
遅刻したが、なんとかM宅到着。

パーティーの進行の大事な要素であるBGM担当の私は再生と一時停止とボリュームのコントロールがお仕事だ。
これは当日担当する機械に自分がどれだけ慣れることができるかがかかっているわ。
入場曲はバシッとナイス音量でキメたいわ。

中華BGMはご歓談等を邪魔するといけないのだが、
わけあって5分ごとに合図としてドラの音を入れる仕組み。
このペーストの作業とかをMTRでやっていたら、
レコーディングって数学だわ〜って思った。

で、このBGMなかなか好評だったので、一安心。

今日のこの日まで自分しか聞いていないものを人に聞かせて反応を見る瞬間ってどきどきだ。
しかもウェディングなので、下手なことはできないという緊張感があった。
ま、不採用でも全然良かったんだけれど。

映画音楽とかもやりたいな〜ってちょっと思った。
まずは8mmから。

夕方はPさんの洋服選びに亭主改造計画気分でTAKAQへ。
紳士服の店員は女子服売り場の店員と何もかもが違うな〜って感心した。

夜はベルギービールを飲んだ。いい店発見でお徳感倍増。
最近美味しいものばかり食べているので危険だ。
冬支度か?

翌日は

2003年11月13日
廃人と化した。

マジで、焼酎には毎回殺される。

まだ焼酎にかんしてはケツが青いっちゅうことだな。

夜はきちんと
茶飲み友達は作戦会議をした。

たんたかたん

2003年11月12日
どういう漢字を書いたか忘れたが、とにかくシソの香のする焼酎の名前だ。「たんたかたん」。

ベリーダンサーズ4人で赤提灯。

うんま〜〜いおつまみと焼酎を頂いたら、
もーーーーーー。
もーーーーー。

思い切り愉快な酔っ払いが4名様一丁出来上がりました!

アノ酒には魔物が住んでる。

運気がまわる。

2003年11月11日
ぽわわ〜んと優しい気持ちになることができた後、
大抵素敵なことに出会えます。

眉間にしわを寄せている間はどうも視界が狭くなるみたいで、良いことも見えなくなってしまうようだ。

今日はいいことがありました。
小田原厚木道路をかっとばして、
箱根へ。

どこかに出かけよう!って前の日に決めるとワクワクするタイプです。

久し振りに観光地に行った気がする。

活気のある観光地っていつ行ってもお祭りのようだ。
体の中のお祭り細胞がワッショイワッショイ。
何か特別なことをしている気分でした。

芦ノ湖の近くで美味しいいいいご飯を食べて、
その後お風呂。
すっかり体がゆるゆるになって、
家に着いた頃にはもう眠くて眠くて。

雨は降っていたけれど、とびっきりの紅葉も見れなかったけれど、
私には必要な時間だったと思う。

ありがとう。

はうぅ〜

2003年11月8日
最近脳みそが固まってきているような気がする。

また変なこと言ってしまったかしら?

う〜む、なんとなくなのだが、なんかもっと前は頭が柔らかかったような。

老化?

沈静化?

ま、いいや。


MTR活用

2003年11月7日
友達の結婚式の準備で大活躍である、MTR。

実に自分の練習にもなるので、非常にこのタイミングが良かったりもする。

まず「幸せなら手を叩こう」これをパーティーで新郎新婦の姪・甥達と共に歌うことになったので、
そのお手本とカラオケを作成したのだ。

まさに歌のお姉さんと化している自分が楽しい作品となった。

笑顔いっぱい、元気いっぱいで本番を子供達と共に迎えることが出来たらいいな。

それからそれから、
中華風なインスト曲を作ってます。
意外に意外にも、私インストっていうのも時々作っちゃうのね。
シンセサイザーを借りてパンパカパンパカ作ってみました。
ドラの音欲しいな〜っておもって妹のマックから借りてきたり。
自分だらけな音作りっていうのもかなり自己中でそれもそれで楽しい。ただ、うおおぉっ!今のスゲービックリした!っていうのはやはり誰かと演奏することでしか味わえないなと再認識。

自分だと、これ、いいんじゃない?これどうかな〜?って思うことを一つ一つ試して、「うん良い。」「うんダメ。」
ってひたすら自分だけと会話しているに留まる。

結構ヤバイ中華風インストが出来た予感。
鍋の蓋とか叩いたりして楽しませていただきました。

野外だぞー@VINAWALK

2003年11月3日
多くの人がテレビでIQテストをしている間、

我々はvinawalkの一角で野外ライブをしました。
他3組出演者がいて、伊藤さんという人が海老名市の音楽の繁栄を目指して企画したイベント。
もう今年はライブはやらないということでしたが、
こういうイベントに声をかけられてしまったら出ないわけにはいかない。
ぶっちゃけていうと、野外はノルマを達成するなどの責任が問われないので、私は気が楽である。

雨がちらついていたのは残念なことでしたが、
寒すぎず、暑過ぎずの気温の中というのは幸いでした。


結構響く空間だったので、
あちらこちらに鳴り響いていました、
ちょっと回っちゃって聞きづらいかも?
そんな心配もありましたが、
楽しく演奏しました。
最近いい瞬発力を発揮しているのではないかと思う。
あっちまで飛んでけ〜〜って思ったのでした。


初めて聞いたけど、好きって思ってくれる人がいたらいいな〜。

リハ中も聞いてくれた人も憶えていてくれたかな?

微妙な天気の中、立ち止まってくれた皆様ありがとう。

打ち上げは魚民で。
茶飲み友達が居酒屋で皆と打ち上げってめずらしいな〜って思うのでした。
誰かが連れて帰ってくれるならバカ騒ぎしたいかも。

下北沢440

2003年10月31日
この場所も4回目くらいなので色んな具合も分かってきたので、
色々尋ねてきた対バンのcubic roofさんに「チラシはここに置きます」とか先輩面して説明してしまった。

続いて昨年の12月に素敵な先輩女性ミュージシャン、よしだよしこさんの前座をやった時にあった
嶋崎かんなさんと再会。
いろんな縁がつながっているこの世の中、どこで誰に会うか本当にわかりませんな〜。

さーて和やかなムードになってリハに入ったわけなのですが、
PAさんが過去にお世話になった人ではなくなっていたので、ちょっとドキドキしましたが、
こっちの主張を全部分かってくれたようなので安心。

下北沢440って真っ直ぐ前を向くと
ガラス窓の向こうにいるひとがよく見えるのね。
ふと前を見ると結構窓の外に人が止まって耳を澄ましている人たちがいて、
「ありがとう」って思うのでした。

今回も写真家のmasaeさんも駆けつけてくれて、
激写、その様子はHPの写真館のライブ写真集のところから見れます。
今回も森の妖精衣装。
あの衣装を着ると回りたくなってしまうんですよね!ギャハギャハ。
楽しくなって回っている写真が最後にあります。

そして思ったことは、
喋りながら耳でチューニングなんて無理っす。

久しぶりに会えた人もいて、皆に会えてよかった〜。
来年もさらにパワーアップを目指して!!

加藤君のMCマイクが無くてごめんなさい。
って感じですが、
本当の時間は11月9日午後9時29分。

きっと10月29日に思っていたはずのことを書きます。


ウッディアレンの映画、「結婚記念日」は傑作だ。

男と女のパターンを上手く描いているな、と
思うのでした。
さーて新宿ハルクのビックカメラの奥の方にじつは
ブロードバンドcafeがあって、
そこで番組を生放送しているわけなんですね。

皆さんが自分の目の前のラップトップにしか感心をしめさないこの空間、
そこで生出演したわけなんです。

背後のパネルを見るとNTTコミュニケーションズが提供しているようだ。

世界に向けて生放送!?
しかしよく考えてみるとインターネットで放送しているのだが、
インターアクティブな事が何もしてないので、
あまりネットの良さを発揮していない。
やりつづけるならそこを見直していくべきだなって思ったのでした。
見ている人が好きなアングルを操作できるとか、
視聴者メール対決とか、双方向で。
結構もったいないと思うのでした。

さーて肝心の本番ですが、
細かい打ち合わせとか無かったので、
何を聞かれるのか何を突っ込まれるのかドキドキしていました。
加藤はかなり落ち着かない様子で、
「おしゃべりはこの人の方が得意です」と本番前にヒトミさんに言ったら、
余計なことを言うなと怒られてしまいました。

流したVTRはウーコンと作成したものではなくて、
音が悪すぎると言われ、取り直したものに
ウーコンと作ったオープニングタイトルを無理矢理編集してくっつけたものです。
黒ちゃん・アニーちゃんゴメンと唱えながら編集。

家に大容量マックが欲しいなーって思ったのでした。

とにかく
どのカメラを見ていいのか戸惑いながらの本番でした。
最後の方はやっと正面を向くこつをつかんだような・・・?

美大潜入。

2003年10月23日
美術大学というのはずっと憧れ。

ワンマンライブを手伝ってもらった
ウーコンパラダイスが生息する多摩美術大学を案内してもらいました。

どこの棟も製作に打ち込んでいて側を歩くだけで興奮。
ガラス吹いてるよ〜
機織機があるよぉ〜とか
製作スタジオが沢山あってキャー!羨ましいぜ〜〜!って感じでした。
私はここの学生という顔をしてキャンパス内を歩き回りました。

実はビデオの編集をしたくて、
黒ちゃんとアニーちゃんに貴重な時間を分けてもらって
プレミアにビデオを取り込んで、っていう作業を。
これが、意外なトラブル発生で2時間くらいで終わるかなっておもっていたのが、結構時間かかっちゃって、
久々に終バスというものに乗ったのでした。

本当に大変な作業ありがとう!

大学の施設っていうのは使えるときにガンガン使うべしだな!って思いました。
物を作っている場所っていうのは素敵だよ。

maternity

2003年10月21日
妊婦の妹が帰って来た。

なんというか、妊婦を間近でみるのは久し振りすぎることなので、ちょっと恐かった。
たぶん最後にみたのは小学生の時。

ので、あまり近寄らないようにしていた。

うちの妹は母親になれるものなのか?って不思議に思っていたのだが、
お腹が膨れてくると大分そういう気持ちになるようだ。
なんか、人当たりが良くなったんだよね。
キレたりしなくなったし。
ホルモンのせいかしら?
いつも眠そうにしているからなのか?
昔はピリピリした顔をしていたのだが、
すごく優しい人にみえた。

全ては円である。

2003年10月19日
そんなことを話ながら
あっという間に夜はふけていった。

「全ては円である」説は
それだけ聞けば宗教のようであるが、
私は基本的に宗教とは無縁なので、それは無いと思う。

生活学というべきか、
世界平和の鍵を握るのではないかとも思えるその考えかたは、

まず円という形の観察から入った。

まず○という形はすごくエネルギーを無駄にしていない形だと思う。
始点があって終点がある真っ直ぐな棒とはちがい、
さらに、鉛筆の方向を意識的に変えなければならない□・△とは違い、スムーズに循環している。

○というものに対する人間の密かな愛着も最近分かった。
性格がスクエアとか、角がとれたとか、
言葉においても角というのは愛らしいものから外れていて、
丸っこいものは大抵可愛いとされる。
生活に於いても○の形はいたるところに存在する。
それだけ人間生活にはかかせないのが○という形だ。朝起きて、夜寝るまでにどれだけの○を見るだろうか?
今こうやってタイプしている場所で目の前だけを数えると20個の○が存在する。

なんなんでしょう?この丸に対する思いは。

サイクル。

水は循環します。
どこから始まっているのか分からないが、
空気中の水分が雨になり、山に降って、一部は地下水に、一部は川になって、
人はその水を飲んで、
海になった水は旅をして、地球を回り、
蒸発した水はまた雨になり、
H2Oはグルグル使いまわされているのである。

生命もきっと
動物が死んで、バクテリアの栄養となり、ミミズがそれを食べて、土となって、草となって、
その草をまたどこかの動物が食べて、
その動物を人間が食べて、その栄養で腹の中の子供が育ち、いらないものは排泄されて、また土となって、草となって・・・・となるわけだ。
輪廻ってそういうことを本当は言いたかったのかもしれない。
エネルギーをパスしていく、
誰かのエネルギーが誰かに回っていくという循環。
それが輪廻なのかもしれない。

そして地球は丸い。
太陽系の星もも丸い太陽を中心に円を描きながら回転している。
○は宇宙の法則なのかもしれない。

丸くない星なんてあるのかしら?

ひょっとしたら宇宙の形は大きな○なのかもしれないよ。

人間も最初は小さな○だ。
細胞というものの中心である核はまるい。
細胞分裂の過程はウニのようだ。

宇宙だって、
巨大なウニの可能性だってある。
入り口と出口のある巨大な○。

気持ちの伝播のしかたも円のような気がしてならない。
怒りも喜びも悲しみもぐるっと地球を一周してくるようだ。
それを誰かがバチと呼んだのではないだろうか?

でも車輪が外れることがあるのです。
外れた車輪は外れたまま回ります。
帰るための土が無かったら草は生えません、
草が生えなかったら、それを食べる動物が死にます。
そしてその動物を食べていた人間も困ります。

一瞬の利益のために実の沢山なる木を作りました。
そのためには化学の力をつかって遺伝子を組替えました、
土も変えました。
みんな最初は嬉しかったけれど、
なぜか夏に虫がいなくなってしまいました。
虫を食べていた鳥がいなくなりました。
それではいけないと思って動物園でその鳥を保護して飼うことになりました。
鳥の声が聞きたいと思って人間は鳥の声の入ったCDを買って聞きました。

とまあそんな感じで。

人間はこの循環のルールを守っていかない限り
絶滅するでしょう。
でも絶滅したとしても、
地球が終わるわけではなく、
きっと地球は人間によって変えられた環境に耐えられる新しい生命を生み出すでしょう。

とまあ話が巨大になってしまいましたが、
円と考えれば自然といろんなものが解決するかもよ、っていうのが私の考えです。
イラク問題も。
外れた車輪をはめなおす努力っていうのは絶対に必要です。

どんなに著しくテクノロジーが発展しても、
人間の体の進化・退化?の速度っていうのは一定。
夏には夏の・冬には冬の野菜を食べるのが体に一番よいのです。
太陽が昇ったときに起きるのが一番気持ちが良いのです。
思っているよりも簡単です。円です。
だから、なるべく人に優しくしましょう。

ということです。
たわごとって思ったかしら?ま、たまにはいいじゃないか。

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